死刑について

国家が死刑制度を公認していて、さらに、実際に次々と死刑囚の死刑を実行していたら、そんな国の国民は、人間の命というものを尊いとは思わなくなって行くに違いない。

そして、挙げ句の果て、役に立たないと国家が認めたような人間は処分されて行くだろう。

津久井やまゆり園で障害を持った入所者たちを、生きている価値がないものとして、次々と殺してしまった男のような人間は、そんな政治的風土の中に生まれてくるのだ。

オウム真理教の主犯たちである死刑囚13人に対して、現政権はその死刑を7月に執行した。一月足らずの間に、13人すべての死刑を執行したのだ。

これが異常でなくて何なのだろう。そして、その執行に対して逡巡というものがない。

今までの政権は、死刑制度のもとでも、その執行に対しては躊躇いというものがあった。法務大臣が執行の許可を出すというのは、どんなにか重圧を感じることだろうと心中を察してしまう。

しかし、今回の上川法務大臣に、そのような苦しみを感じることはできないのだ。

そんなことのわだかまりもあって、今夜は、「死刑執行に抗議しオウム事件を考える」集会に出るつもりだ。