オウム真理教死刑囚の刑執行
朝9時ごろのニュースで、オウム真理教の教祖麻原彰晃の死刑が執行されたというニュースが流れた。ああ、遂に執行されたのだ、仕方がないか、というのが最初の感想だった。
しばらくすると、執行されたのは麻原彰晃だけではなく、他の教団幹部で死刑判決が確定していたメンバーも同時に執行されたというニュースが続いた。麻原を含めて、合計7人が死刑を執行されたらしい。
このニュースを聞いて、急に気持ちが悪くなった。国家権力がわざと恐ろしさを国民に見せつけるために、行動をしているように感じて、心の底から気持ちが悪くなってしまった。
同時に、7人もの人間の死刑を執行することができるのだ?!
すると、上川法務大臣の顔が浮かび上がって来た。彼女は、どのような気持ちで死刑の執行を許可する書類にハンコを押したのだろう。法務省の官僚に周囲を固められ、取り囲まれて、ハンコを押さざるを得なかったのだろうか。それとも、確信を持って死刑執行を命じたのだろうか。
女性だからといって、命に対して繊細で敏感な感性を持っているとは限らない。
死刑が確定した死刑囚に対して、その刑を実行していくという国家のシステムが、このようにあからさまに出現すると、なんとも言えない気味の悪さを感じてしまう。
オウム真理教という宗教団体が、地下鉄サリン事件を起こして、無差別殺戮を企図し、13人もの死者と何百人もの被害者を出したのは、もう何年前のことになるのだろう。
オウム真理教は、地下鉄サリン事件を起こす前から、ずいぶんと世間を騒がせていた。
若者が麻原彰晃の教えに共鳴して、突然出家してサティアンに入って共同生活をし始める。家族は驚いて引き戻そうとするのだが、入信した若者は、どうしても家族のいうことを聞かず、関係を絶ってしまうということが社会問題になっていた。
マスコミは、サティアンの中での生活を伝え、視聴者も怖いもの見たさで興味津々でテレビを見ていたはずだ。
話題には事欠かなかった。ハルマゲドンだとか、ポアだとか、麻原彰晃の教義にはよく出てきた言葉だ。
電流が通ったヘッドギアなどを被り、テレパシーで交流するような話もあった。
デタラメなのだが、まことしやかに話される、まるで漫画の世界だった。
そのうちに、国政選挙にまで出馬するようになってきた。
麻原彰晃の仮面を被った信者たちが、宣伝カーの上で「ショウコウ、ショウコウ」などと言って変な踊りを踊って、街宣活動をしていた。
坂本弁護士一家殺人事件や松本サリン事件、そして、地下鉄サリン事件と、とんでもない事件を次々に起こし、たくさんの人間をポア(殺して)して来たのだから、その罪を償うのは当然なのだが、今朝の死刑執行には気味の悪さしか感じない。
法務省が、国家の意志を体現して、死刑を執行していく。それも、一挙に7人もの人数の死刑を実施する。この残酷さと気味の悪さをどのように理解すればいいのだろうか。
特に、現在の安倍政権に死刑という極刑を執行する資格があるのだろうか。倫理観の欠如した国家に死刑を執行することができるのだろうか。
ともかく、不気味で気味の悪い感覚が続いている。