沖縄連帯のデモ
土曜日、真昼間、池袋で沖縄に連帯する集会が行われた。
『埋めるな!辺野古 沖縄県民大会に呼応する首都圏大行動』と名づけられた集まりである。
すっかり忘れていたので、慌てて家を飛び出し会場の中央公園に到着したのは12時過ぎ。気持ちは沖縄に連帯と思っているのに、身体と脳みそがなかなかついて来てくれない。
ヨレヨレになりながら、雑踏で次々と通行人に当たりそうになりながら池袋駅の地下通路を抜け出て、地上に出ると、そこも通行人でごった返している灼熱地獄。
学生時代は、文芸坐に映画を見るためによくやって来たが、最近はまったく来たことがなかった。駅前の風景も何となく思い浮かんで来るのだが、記憶と重ねて見るとほとんど様変わりしている。時間は、否も応もなく過ぎて行くのだ。
映画代、二本立てで50円の時代だった。
公園に着くと、当たり前だが集会はもう始まっていた。
思いの外たくさん集まっているように見えたが、後で主催者が発表した人数は2800人余りだった。大した数じゃない。一桁違う。一桁違えば、大成功だったのだが。
池袋の駅前の雑踏の人数を頭に思い描きながら、そんなことを考えてしまった。
コミケの会場はすごい人出だそうじゃないか。甲子園だって、連日、満員の観客だろう。この暑いのにご苦労なことだ。
なのに、その暑さをものともしない情熱とエネルギーを沖縄の辺野古には注ごうとしない。アメリカの属国に過ぎない状態の日本という国の有様にもっと想いを馳せろよ!
浮かれている場合じゃないのだぜ。
東京オリンピックだ、サマータイムだ、パンパシフィック水泳大会だ、ボクシング連盟の不正だ、自民党総裁選だ、異常気象だ、災害救助は進まない、福島はどうなっている、熊本はどうなっている、平成はもう直ぐ終わる?、オウム真理教の死刑囚の死刑執行は、安田純平さんの救助は本当にする気があるのかい?、翁長さんが亡くなった沖縄は? 暑い、暑い、暑い、暑い、池袋の街に照りつける太陽の日差しの強烈さと来たら!
ヘトヘトになりながら、公園の中を仲間を探して歩き回った。
向こうから、むさ苦しい男が二人手をあげて笑いかけて来た。やあッ!てなわけだ。
会場の中央からは、主催者のメッセージがマイクに乗って流れて来るのだが、よく聞き取れない。沖縄の集会には7万人ほどの人数が集まったということが、辛うじて分かった。
まあ、集まった方か。10万人以上集まればもっとよかったのだけれど、まあ仕方がない。しかし、全国で連動して開催された集会にはどれだけの人数が集まったのだろう。
少しばかり気にはなる。
集会では、三線の演奏に合わせて女性が琉球舞踊を踊ったりしてくれたが、前に立っている人の頭が邪魔をしてよく観ることができなかった。
12時半過ぎからデモ行進に出発。警察の誘導と規制のせいで、デモの隊列がなかなか進まない。
林立する幟の先頭にパトカーがいて、しっかりとデモ隊のペースを牛耳っている。交差点で信号が赤になると、律儀に青になるまで待っていたりする。
別段、暴徒化するデモではないのだから、もう少し交通規制をして、デモ隊がスムーズに流れる手伝いをしてもいいのではないかと思う。デモは、市民が自分たちの主張を訴えることのできる権利なのだから、民主国家の警察は、しっかり守ってくださいよ!
中央公園を出発して再び中央公園に帰って来るまでの、池袋駅の近くを頂点にした三角形の行程を1時間以上もかけてゆっくりと移動した。
「安倍はすぐに辞めろ!」「辺野古に基地はいらない、沖縄に基地はいらない、どこにも基地はいらない!」「オスプレーを飛ばすな、どこにも飛ばすな!」「辺野古を守れ、ジュゴンを守れ!」
拡声器も何もないので、先頭の声がよく聞こえない。何を言っているのだかよく分からない。適当に大声を張り上げる。
強い陽射しの下での1時間あまりの行進は、腰椎骨折の後遺症に苦しむ年寄りにはかなり堪えるというものだ。
塩飴を食べ、ペットボトルの麦茶を飲み、また、塩飴を食べ、ペットボトルの麦茶を飲む。
1時間後にデモが終わったあと、知り合いと二人で、新宿に出て昼食を食べるはずが、焼き鳥でいいというので、焼き鳥屋でビールとホッピーを飲んで帰ることになってしまった。
いつものパターンだ。
そのうちに、また、沖縄に行くかな。