久しぶりの中国語

腰椎を骨折していたので、正月16日から再開した中国語講座にずっと出席できないでいた。 悲しいけれどもとても90分間、授業を受けるために机の前に座っていることは出来なかった。すぐに腰が痛くなって寝転びたくなってしまう状態だったのだから、どうしようもない。

昨日も、今日はどうするのかずいぶんと悩んだ。まだまだ本調子ではない。ともかくも、朝、起きた時の状態で判断することにした。

猫が、5時半から枕元に起こしに来る。眠ってなどいられない。奥さんは、横でぐっすり眠っていて、まったく目がさめる気配はない。猫も、そんなことは百も承知で、わたしにばかり甘えてくる。

起き出して、猫のトイレの処理をして、顔を洗って、お茶を淹れ一口飲むと目が覚めた。調子は悪くないようだ。

台所に立って、朝の食事の用意をする。一月半ぶりの食事の用意だ。

みそ汁を、ナスとエリンギを具材にして、最後に豆腐を小さく賽の目にして放り込んだ。次に、我がお得意のトマトの卵炒めを作る。今日は、少し調子に乗って細かく刻んだジャガイモまで入れて炒めてしまった。少し、重い味になった。

ついでにキュウリを細切りにして、これも生姜の細切りと一緒に、甘酢で合わせてみたが、生姜が多すぎて辛いこと辛いこと。たまらなくてレンジでチンしてしまった。そのおかげで、少しまろやかな味になった。

これで、朝のおかずは出来上がったので、コーヒーを淹れる。コーヒーを淹れるのは、この間から自分でできるようになっている。

頑張りすぎて、少し腰が痛くなってしまった。

一段落したころ、奥さんが、よたよたと起きて来た。

お茶が入っているよ。ありがとう。コーヒーもあるよ。ええ。

教材の入ったカバンを持って、電車で出かけるのは、まだ、少し辛いので、車を運転して行くことにした。不思議なことに、車を運転するのはそれほど辛くないのだ。

中国語講座の仲間は、みんな心配してくれて、大丈夫か尋ねてくる。中のお一人は、わざわざわたしが休んでいた4回分の授業のノートをコピーしてくれていた。ありがたいことだ。感謝、感謝。

どうにか90分の授業を終えることができたが、やはり最後は腰が辛くなってしまった。ただ、もう出席できないかもしれないと思っていたのに、とりあえず出席することができたのでホッとしている。

12月の末に休みに入ってから、今日までまったく勉強していなかったが、また、取っ掛かりができた。

次回の講座で、今季の中国語講座は終了する。なんだかやり残したことが一杯ある。不完全燃焼かな。

 

腰椎骨折日誌12

今日で、骨折してから46日目になる。

昨日は、とても調子が良くて、1日中、コルセットも着けずに過ごしていた。

夜は、夕食をしにジーパン姿で近所のステーキのチェーン店に出かけた。ステーキはちょっと高いので、注文はハンバーグに変えた。グラスワインも2杯飲んでしまった。

一昨日も日本酒を1合ほど飲んだので、連日になってしまった。骨折前に戻ってしまったようで、気をつけなければいけない。

というように昨日は、とても調子良く過ごせたのだが、今日は腰が痛いし、重たい。
今朝、寝床の中にいると、キッチンからNHKのラジオ放送が聞こえてきた。なんとなく耳にしていると、福島の農作物の話をしているようだ。放射線汚染の基準の話なのかもしれない。


1000bqで大丈夫なんですよ。ヨーロッパでは、そういう基準でやっているのに、日本はその××分の1の基準でなければならないとなっていて云々、とか聞こえてきた。
おや、またしても変なことを言っている奴がいる。それも、朝っぱらからNHKで、全国放送だ。いったい誰が話しているんだと、起き出して妻に聞いてみると、カイヌマヒロシとか言ってたわよ、と教えてくれた。


不勉強で初めて耳にする名前だったが、どんな人物なのか調べてみると開沼博と書くことが分かった。若いのに、結構、有名な社会学者らしい。知らないことが多い。でも、なんとなく原子力村の臭いがする。


現在、福島における一般的な農作物の出荷可能な放射性物質の基準は、100bq/kg以下である。何を根拠に1000bqでいいようなことを言うのであろうか。それとも、寝ぼけていたわたしが聞き間違えたのであろうか。


そのせいもあってか、朝から調子が悪い。気分も良くない。ジーパンも穿く気がしない。
アーカイブか何かで、開沼博の発言を確認してみなければならない。それから判断することにする。


明日は、もっと気持ちよく目覚めたいものだ。

タオ猫

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タオが、ソファに座っているわたしのそばで、にゃーん、にゃーんとうるさく何かを訴えて来る。
なんだ? と言っても、にゃーん、にゃーん。
これじゃ埒があかない。
オマエ、話にならねえな、というような態度で、ソファから飛び降りると、窓辺に行ってしまった。
窓辺は、陽射しがいっぱいで、そこに寝転んで、そのままウトウト。
ほんとうに、猫め!

心願の国

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原爆の子は鳩になった


原民喜に「心願の国」という遺作がある。

自身が広島の原爆によって被爆した原民喜は、「夏の花」という作品によって、原爆の悲惨さを世に知らしめた最初の作家である。

1951年の3月、世界から核兵器がなくなることを痛切に願いながら、東西冷戦による核開発競争と朝鮮戦争の勃発を目の当たりにして、核戦争の不安と重圧に耐えきれず、中央線吉祥寺駅西荻窪駅間の鉄路に身を横たえ自ら命を絶ってしまった。

「心願の国」には、次のような箇所がある。

「僕の眼の前には再び仄暗い一塊りの別の地球が浮かんでくる。その円球の内側の中核には真赤な火の塊りがとろとろと渦巻いている。あの鎔鉱炉のなかには何が存在するのだろうか。まだ発見されていない物質、まだ発想されたことのない神秘、そんなものが混じっているのかもしれない。そして、それらが一斉に地表に噴き出すとき、この世は一たいどうなるのだろうか。人々はみな地下の宝庫を夢見ているのだろう、破滅か、救済か、何とも知れない未来に向かって……。」

この未来のカオスをイメージさせるこの文章は、ある夜、眠れない作者が想像する暗く冷え固まった何億何万年後かの地球の姿の後に、続いて描かれている。

 「心眼の国」の3年前に三田文学に掲載された「戦争について」という短文がある。そこに、次のような文章がある。

「人類は戦争と戦争の谷間にみじめな生を営むのみであろうか。原子爆弾の殺人光線もそれが直接彼の皮膚を灼かなければ、その意味が感覚できないのであろうか。そして、人間が人間を殺戮することに対する抗議ははたして無力に終わるのであろうか。」

米国のトランプ大統領が、「核体制の見直し(NPR)」を発表して、核兵器の先制使用もありうること、小型核兵器の開発を進めることなどを表明した。それに対して、河野外務大臣は(つまりは、現政権は)「高く評価したい」とコメントしたのだ。なんという貧困な想像力だろう。況んや世界で最初の被爆国なのだ。その相手は、米国そのものではなかったのか。

原民喜が抱いた絶望を、いつこの国は解決してくれるのだろうか。

人間が人間を殺戮することに対する抗議を無力に終わらせては、絶対にいけないのだ。

 

ゴッホ

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高校生のころ、やたらと絵描きになりたいと思った時期があった。

中学の時の美術の教科書に載っていたゴッホの絵の記憶が大きく膨らんで、いつしか高校生のわたし心のすべてを占領することになってしまったのだろう。

その時見た絵が何だったのか調べてみると、『the harvest(収穫)』という作品だったことが分かった。絵の前方に垣根があって、その後ろには摘み取り作業をしている女性らしき人物、その向こうに青い荷車が置かれている。さらにその向こうには、収穫期の大麦畑が遥かに広がっていて、オレンジ色の屋根をした農家が点在し、何人かの人たちが農作業をしている。遠くには山が描かれていて、その上に空が広がっているという絵だ。

わたしは油絵の道具を購入し、絵を描き始めた。木炭デッサンもした。

イーゼルや木炭、絵の具、アグリッパの石膏像、画布や木枠、ペトロール、絵筆などを買いに、京都の画材店に出入りした。

国立近代美術館の展覧会にもよく足を運んだ。

美術部の友人の紹介で、S大学の美術の教授の家をお邪魔して、自分の描いた絵を見てもらったりもした。わたしが持参した何点かの絵を見て、教授は、君は彫刻が適しているから彫刻をやりたまえと宣わった。

わたしは二度と教授の家を訪問しなかった。

絵を描くことへの情熱は、いつ冷めてしまったのか分からない。ゴッホに憧れてはいたが、油絵を描くテンポと若いわたしのテンポはシンクロしなかったようだ。

急に遠い昔のことを思い出した。

名護市長の稲嶺さん退任

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名護市民は、辺野古に米軍基地が建設されることよりも米軍再編交付金のほうを選んだということなのか?
稲嶺市長の8年間で、名護市民の暮らしが以前より悪くなったという話は聞いたことがない。むしろ、国から交付金をもらわなくても、名護市の財政は良くなったはずだし、市民生活も向上したはずだ。
辺野古に米軍基地が建設されると、名護の上空を今とは比べものにならないほどの米軍機が飛び交うに違いない。そうなるのは、少し考えれば分かるはずなのに、いったい名護市民はどうしてしまったのだろう?
私にとって、名護市は沖縄の良心を代表する存在であった。政府の嫌がらせにも屈服することなく、基地のない沖縄を目指して頑張ってきた。国からの交付金をもらっても、もらった当座は潤った気になるだろうが、それは自立した沖縄という誇りを失ってしまうことだ。
新しい市長は、辺野古の新基地建設について容認ということではないと言っているが、とても本当のこととは思えない。すぐに化けの皮が剝がれるに違いない。
これからも、ずっと辺野古のことを見ていきたいと思う。

名護市長が退任式で「心残り」 辺野古移設問題、落選の稲嶺氏 - 琉球新報 - 沖縄の新聞、地域のニュース

朝風呂

どうも体が冷たいので、風呂に入ろうと思った。頭の中で蝿がブンブン飛び回っている。この不快さをどうにかしなければ、1日が始まらない。

頭を押さえながら冷たい煎餅布団から這い出した。窓に朝の光が淡く差している。今日も冬晴れの上天気なのだろう。

よろけながら浴室に向かう。パジャマを脱ぐと、洗面所の冷気が皮膚に突き刺さった。ぶるっと震えがくる。

湯船に手を入れると、まだ微温い。体に湯をかける。生ぬるいじゃないか。仕方ねーな。

ブツブツ言いながら男は湯船に入った。多少微温いけれど、追い炊きで次第に温かくなってくるはずだ。そう思いながら、手足を思う限り伸ばした。

体が徐々に温まってくる。湯船の中で顔を洗う。少し目がさめる。頭の中に飛び回っていた蝿の騒音が消えてなくなって行く。

湯もだんだんと熱くなってきた。それと同時に、頭がボーッとしてくる。すると、おかしな妄想が頭の中に湧き上がってきた。

湯の中で自分がだんだん小さくなって行く。そのうち、マメ粒のようになって溶け出した。溶けて湯の中の水の分子に紛れ込み、ずっと泳いで行く。これは、どうしたんだ、と驚いていると、誰かが呼んでいる。見ると奇怪な小人がいて自分を呼んでいる。いいぞ、、こっちは、いいぞ。早くおいでよ。そんなふうに聞こえる。

おや、体がだいぶん温まってきたようだ。ああ、浮力のせいで重力がなくなって行く。天国天国‥‥‥。

いつまでたっても男が風呂から上がってこないので、不思議に思った奥さんが風呂場の扉を開けて中をのぞいた。 どうしたんでしょう、誰もいないわ。