回想

亡霊

倒れた頃は、目の前にいつも死がぶら下がっていて、見える風景も温かみなど感じられず平面的だった。 言ってみれば、秋の末の陰影のない雑木林の風景のようなものだった。 体のほとんど全て、9割方が死の靄の中に紛れ込んでいるような具合だった。 いつ死ぬ…

幻のナンシー演劇祭

1970年の4月半ばのことだったと思う。文学部の教授でフランス文学の翻訳家として名の知られていた安堂信也が、一通の手紙を持って劇団「自由舞台」のアトリエを訪ねて来た。 その手紙は、フランスのナンシーから届いた演劇祭への招待状だった。 安堂信…

霧の大学構内にて

学生劇団「自由舞台」の大学祭での公演で、唐十郎の「続ジョンシルバー」をやったことがある。 1971年の話だ。 みんな金がなかった。劇団にも学生にも。 舞台のセットを作らなければならないのだが、ベニヤ板を買う金銭が決定的に足りなかった。どうにかしな…

父の誕生日

今日6月3日は、死んだ父親の誕生日だ。生きていれば、ちょうど100歳になる。 自分の腰の痛みにばかり気を取られていて、そのことをすっかり忘れていた。 日本軍の兵士として、中国から仏印に進駐し、4年間を過ごした。最初は工兵隊、次に憲兵隊に抜擢…

学校帰りの道草 1

小学校からの帰りは、いつも何人かの友だちと寄り道をしながら帰ったものだ。コースはいろいろだったが、映画館「第一大坪座」から築港の橋を渡り、義農公園の脇を通って、小川に沿って帰って行くのが定番だった。 映画館前の本屋に立ち寄るのは、いつものこ…

コロのこと

コロというのは、昔、飼っていた柴犬のことだ。血統書付きの犬で、そこに書かれていた名前は五郎丸という大層な名前であった。 犬を買ってくれと親にねだって、京都の大丸のペットコーナーに見に行き、気に入ってその日のうちに買って帰って来たように覚えて…

酒を飲むということ

私は、そんなに酒飲みではない。大量の酒は、体が保たなくて拒絶反応を示してしまう。 だから、おそらくは、アル中にはならない。 アル中の酒の飲み方は、尋常ではない。一升瓶の日本酒が、そのまま体の中に流れ込んで行く。全てを体が吸収してしまうのだ。…

比嘉のこと

大学に入学したら第2外国語の選択でクラスが決まっていた。フランス語を選択した私はO組だった。 入学して直ぐの時期に、クラス会を大学近くの蕎麦屋か居酒屋でやった記憶がある。大学から1万円ぐらいの補助が出た。 今は、大学生でも20歳になっていない…

映画館「大坪座」

父親の転勤のせいで、生まれは関西なのだが小学校時代はずっと愛媛県の海に近い小さな町で暮らしていた。 町には、映画館が二つあって、古いほうを第一大坪座、新しい方を第二大坪座と呼んでいた。 あの頃、小学生は学校が許可しない映画を見てはいけないキ…

寺山修司について

手元に残っていた「邪宗門」のチケット 急に寺山修司のことを思い出した。 渋谷公会堂で劇団天井桟敷の「邪宗門」という劇の公演があった。 開場時間が来ても、公会堂のガラス扉が開かず、前に並んでいた観客が騒ぎ始めた。そのまま、扉を無理やり押し開ける…

死者巡り

朝、台所で朝食を作っていると、隣のラジオからおそらく筋無力症のことについての解説をしているのだろう、その声が途切れ途切れに聞こえて来た。 すると、ALS(筋萎縮性側索硬化症)で結局職場を退職せざるを得なくなってしまった同僚のYさんのことが思い出…

70年安保闘争デモ

1970年の6月23日、日米安保条約の自動延長に反対するデモがあった。 無知なわたしは、先輩になかば強制的に誘われて明治公園に出かけて行った。全共闘のデモである。ヘルメットは、先輩が貸してくれた。 そのデモに参加する前にも、下宿の別な先輩に誘われて…

記憶の断片

過去が怒涛のように頭の中に蘇って来る。そのすべてが感情だ。切なくて、甘ったるくて、泣けそうだけど、歯がゆいほど戻ることができない。 夏の夜の湿った空気のなか、流れる外灯の仄暗さを受けて、九号館の入口の外に張り出したバルコニーのような屋根の上…

ゴッホ

高校生のころ、やたらと絵描きになりたいと思った時期があった。 中学の時の美術の教科書に載っていたゴッホの絵の記憶が大きく膨らんで、いつしか高校生のわたし心のすべてを占領することになってしまったのだろう。 その時見た絵が何だったのか調べてみる…

名護の海

もう20年以上も前のことだ。息子が、薬物中毒になっていたので、その治療のために名護の辺りに住まわせていたことがある。結局、息子は回復などせず、最後は路上で裸になって喚き散らし、病院に収容されてしまった。その後、どうやって東京に連れ戻したの…