女性化乳房
トンプよ、お前の飲んでいるクスリのせいだぜ。お前のオッパイが、このごろだんだんと膨らんで来て、乳首の先が痛くなったのは。
お前の、毛の生えたように力強い心臓が、脆くも傷ついて、こんな奇妙な名前のクスリを飲まなければならない羽目に陥ってしまったのは、不幸としか言いようがない。それにしても、「アナタノタメヨ」という名前はふざけ過ぎていないか。
このクスリの効能は、傷ついた心臓を優しく包み込んで癒してくれるところにあるらしい。しかし、そんな効能が現れたという証拠があるわけではない。
だいたいが、傷ついた剛毛の心臓を癒してくれるための、マウスでの実験など誰もしたことがないのだ。それに、マウスには、剛毛の心臓がない。
臨床研究も進んではいない。毛の生えたような心臓を持った臨床の被験者を探すのは、ほとんど不可能だったし、なおかつ、その心臓が痛ましいほど傷ついているかどうかなんて分かりっこなかったのだから。
そのせいで、クスリ「アナタノタメヨ」は、行き当たりばったりで処方されるしかなかった。
で、哀れなトンプが処方されて、毎日、黙々と決められた時間に決められた量の「アナタノタメヨ」を飲み続けたのだ。
その結果が、こうだ。
トンプの小さな乳房は次第に大きくなり、大きくなり続け、乳首の痛みはますます激しさを増し、最後には耐えきれなくなった。
医者に診てもらうと、大丈夫ですよ。ものには限度というものがありますから、そのうち治りますと言うだけだった。
ところが、医者の言に反して、トンプの巨大化した乳房は、狼狽えてオロオロしているトンプの傷ついた心臓を貫き、次に彼の混濁した脳みそを貫いて中空に飛び出してしまった。
何と乳房のあとには、ポッカリと深い穴が残った。取り残されたトンプは、その穴に向かってオーイ、と呼びかけた。
乳房は世界に繋がることができただろうか。
腰椎骨折日誌補遺
前回の15回で、この腰椎骨折日誌も終わりにするつもりだったが、今日、整形外科で最後の診察を受けたので、そのことを書いて終わりにする。
なんだかんだとやる事があって、やっと家を出た。
昨日に続いて、今日も春の日は晴れ渡ってとても暖かい。桜の花も、最高の美しさで輝いている。
昼少し前に病院に滑り込むと、すぐに診察室に呼ばれた。
打診器で背中を背骨に沿って叩かれる。
痛くないですか?
ちょっと痛い感じもしたけれど、痛くないと答えた。
13週経っているから、骨はもうすっかり付いています。骨の形は元には戻りませんが、それは仕方がない。
リハビリはどうしましょうか?
する必要はないですよ、と断言された。
腹筋、背筋もやっていいですか?
それで鍛えるしかないですから、やり方はご存知ですね?
はい。
山に行っていいですか?
徐々に慣らしながら行って下さい。急に激しい運動をするのではなく。どんなスポーツ選手でも、怪我の後は、徐々に慣らしていくものです。
はい。
何か分からないことがある場合は、いつでも来て下さい。
ありがとうございました。
というわけで、腰椎骨折での整形外科通いは、ついに終了することができた。
去年の年末に折ってから、正月も寝て過ごすことになり、ギブスを着け、汗で痒い思いをし、五万円近くもするコルセットを装着することにもなった。
思い返せば、ずいぶんとシンドかった。
やっと医者からは、治ったと言われたが、まだ、本調子ではない。朝、寝床から起きた後しばらくはスムーズに動くことが難しい。
不安な気持ちもあるが、少しずつ良くなっているのも確かだから、根気よくやって行こう。
ともかくも、治ったということだ。
残りの人生を有意義に過ごすしかない。謙虚に……。
春、証人喚問
参議院での証人喚問の質問のトップには自民党の丸川珠代議員が立った。
しかし、彼女は何を佐川氏から聞き出そうとして質問に立ったのだろう?
公文書改ざんが誰によってどういう目的でなされたのかという疑問。また、森友学園が小学校を建設するために購入した国有地が、相場の8割も値引きして売られていたのは何故なのかという疑問。これらの疑問を解決するために証人喚問を実施したはずなのだ。
ところが、丸川珠代議員のやったことは、その解決のための質問ではなく、安倍晋三首相や昭恵夫人、麻生太郎財務大臣、その他安倍政権周辺が事件と関係がないことを、情けないほど単純で稚拙な質問をして証明しようとしただけなのだ。
大体が、彼女は安倍チルドレンの一人で、安倍晋三首相のヨイショ軍団の一人であることは自明のことなのだ。そして、この森友問題は、最初から安倍晋三首相と昭恵夫人の関与を巡って動いて来たことは客観的な事実なのである。だから、彼女がこの問題に関する証人喚問の質問者の一人になるというのは、はなはだしい矛盾でしかない。そもそも、こんな質問者を選んだことからも、自民党という政党のどうしようもない劣化状態が分かるというものだ。
繰り返すが、彼女の質問内容というのは、徹頭徹尾、安倍晋三首相、その妻昭恵氏、官邸の官房長官、官房副長官、総理秘書官、安倍総理の秘書官、麻生財務大臣、麻生財務大臣の秘書官、財務省の事務次官、内閣官房などの大臣官房や他の局の幹部などから、佐川宣寿元財務省理財局長に公文書改ざんの指示があったかなかったかということの繰り返しに過ぎなかった。
森友学園のの国有地の貸付契約、売買契約においても同様の繰り返しをしただけであった。
この質問の手法は、その企みが露骨すぎるほどストレートで、犯罪者が犯罪を犯していないことを証明するために、当の犯罪者に「あなたは犯罪を犯してはいませんね」と訊いているようなものだ。もちろん犯罪者は犯しましたとは答えない。しかし、だからといって、この犯罪者が犯罪を犯さなかったという証明にはならないない。犯罪者はいくらでも嘘をつくだろうから。
もう少し喩えを正確に述べると、犯罪者に「あなたが命令を拒否することができないあなたの親分は、あなたにその親分の犯罪の証拠隠滅を計るよう命じてはいませんね」と尋ねているようなものなのだ。
犯罪者は「はい、命じられたことはありません」と返答する。でも、その答えは、親分が無実だということを証明しはしない。
こんなバカな質問と答えが、丸川珠代議員と佐川宣寿前財務省理財局長の間でずっと続いたのだ。
こんな質問で、丸川珠代議員は、親分が犯罪を犯していないことを証明できると思っていたのだろうか。また、質問が終わった今は、親分の無実の証明に成功したと思っているのだろうか。
彼女は、佐川氏の返答から総理、総理夫人、官邸からの指示はなかったと結論づける。
そのバカさ加減に呆れてものも言えない。
証人喚問が終わった後、自民党の菅官房長官といい二階俊博幹事長といい、揃いも揃って、これで文書改ざん、森友問題の真相解明は終了したようなことをコメントしていた。
バカの極み。腐敗の極みで悪臭芬芬、ヘドが出そうである。
海外からは、北朝鮮の金正恩が中国を電撃的に訪問し習近平と会談をしたことが、速報で伝えられた。
東アジアの国際情勢は劇的に変化しているのに、日本は何をしているのだ。一人置いてきぼりの状態で、政府の信用は地に落ちている。
まさか、わたしが憂国ということを真剣になって考えるとは、思ってもいなかった。
映画館「大坪座」
父親の転勤のせいで、生まれは関西なのだが小学校時代はずっと愛媛県の海に近い小さな町で暮らしていた。
町には、映画館が二つあって、古いほうを第一大坪座、新しい方を第二大坪座と呼んでいた。
あの頃、小学生は学校が許可しない映画を見てはいけないキマリになっていた。また、一人で映画館に行くことも禁止だった。しかし、わたしは一年生の時から下校途中に映画館に立ち寄っていた。
クラスにお母さんが映画館で働いている女の子がいて、その子と帰る時によくタダで映画館に入れてもらっていた。
ある時、「液体人間」という映画(インターネットで調べて見ると「美女と液体人間」〔美女と液体人間 予告編 東宝 HD版 1958.6.24公開 - YouTube〕というのが正式な題名だったらしい)が封切られていて、どうしてそうなったのか覚えてないが、下校時に上級生も混じった三人ほどの生徒で一緒に第二大坪座に入り込んで、その映画を見ていた。
映画がほとんど終わろうとするころに、突然、後ろの席から肩をトントンと叩かれた。振り向くと、そこには担任のゴウダチズコ先生がいて、「〇〇君、ダメだよ。出ましょう」と小声で告げられた。
わたしはかなりしょげ返って、すごすごと先生の後について映画館を出て行った覚えがある。
そんなことがあった後は、その女の子とはあまり一緒に下校することもなくなり、だんだんと疎遠になってしまった。
映画館といえば、もう一軒の第一大坪座は、とても古い建物だった。今、思い返してみると、きっと芝居小屋だったのだろう。
二階は桟敷になっていて、両サイドには畳が敷いてあった。また、周囲は暗幕が垂れているのだが、暗幕の向こうは板の雨戸で閉じられていた。屋根は、瓦屋根でてっぺんには火の見櫓がくっ付いていた。
その第一大坪座の前では、よくお兄さんが映画の看板を描いていた。あのお兄さんは幾つぐらいの歳だったのだろう。三十代半ばのような記憶なのだが、小学校三年生の記憶なのだからもっとずっと若かったかもしれない。
お兄さんは、映画館の前の地面に描いた看板を寝かせてペンキを乾かしていた。わたしが近づいて眺めていると、踏まないように注意したりするのだけれど、こちらがあまりに感心するものだから、まんざらでもない様子をしていた。
一緒に映画館の看板を見ていたのは、女の子だったような気がするのだが、誰だったのかまったく思い出せない。
看板描きのお兄さんは、映写技師も兼ねていて、ある時、映写室の中を見せてくれたことがある。後にも先にも、その時以外に映画館の映写室に入ったことはない。きっとこれからも、そんな機会はないだろうから、人生で一度限りの体験だったということになる。
狭いドアから中に入ると、黒くて大きい映写機が真ん中に据えられていた。部屋の周囲には映画フィルムを収めておく缶が雑然と置いてあった。
お兄さんは、映写機の傍にわたしを招いて、フィルムの装着の仕方を見せてくれた。ひょっとしたらフィルムをスクリーンに映写してくれたのかもしれない。
ただ、どこまで記憶が確かなのか判然としない。おそらく、わたしの願望が混ざり込んでいるのだろう。
第一大坪座には、ときどきドサ回りの劇団やストリップの一座もやって来た。
すると、町のあちらこちらにポスターが貼られる。特にストリップの公演のポスターは、小学校低学年の幼心にも、なんとも言えないいやらしさを感じさせたものである。
ポスターに描かれている裸の女性は、いつも金髪の西洋人らしい女性で、艶めかしい姿態で眺める小学生を挑発していた。
ポスターに書かれた謳い文句は、「金髪美女来たる!」というのような内容であった。
クラスにコジマという友だちがいて、第一大坪座に叔父さんに連れられてストリップを観に行った話をしてくれた。話を聞いて妙に興奮したのは、舞台の上で男と女が1分以上キスをしていたということだった。
キスということも、あまりよく分かっていない年齢だった。
今思うと、コジマはわたしを喜ばせるために嘘をついたのだろう。
現在、「大坪座」がどうなっているのか調べてみると、第一、第二の両館とも潰れてしまったようで跡形もないらしい。代わって、シネマサンシャインという大きな映画館がショッピングモールの中に出来ているようだ。
幼いころの懐かしい世界は、すべて思い出の中にだけ存在するようになってしまった。
背が高くないこと
先日、駅で電車を待っていたら、中学生たちが、ゾロゾロとプラットフォームに溢れて来た。
不思議に思っていたのだが、やはり尋ねてみることにした。
何かあるの?
すると、中の一人が楽しそうに大きな声で
中学校の合唱コンがパルテノンであるのです!
と答えてくれた。
それで得心したのだが、乗った電車の中でこんなことを思った。
背が低いといいこともあるのだ。あの中学生も、大きな男に尋ねられたら怯えて、ろくに声も出なかったかもしれない。私のような小ぶりの男に尋ねられたから、安心して返答できたのだ。
してみると、背が低いのも大きな利点があるではないかと。
妻に話すと、そうだよ。気づかなかったのと言われた。
最近は、大きな若い人が増えて、電車の中でそんな人たちに囲まれると、まるで谷底にいるような惨めさを味わっていたのだが、少し救われたような気持ちになった。
以下は、屁理屈である。
大きな人間は、環境問題を考えると存在自体が悪である。
大きいから服も大きくなければならない。一般的に食べ物の量も多い。食料問題を考えるとマイナスでしかない。
家も大きくなければならないし、車も大きい必要がある。軽自動車で十分なのに、大きな車に乗らざるを得ない。
ホテルに泊まっても、普通のベッドだと足先が出てしまうから大きなベッドが必要だ。
挙句に、棺桶だって大きくなければならない。
ところが、地球の大きさは限られているのだ。
だから、大きなことは、地球資源を食いつぶすことにつながる。
人間の大きさが、今の半分になれば、どんなに地球は広く感じられることだろう。
誰か人間を小さくする方法を発明した科学者がいれば、きっとノーベル賞に値するはずだ。
春になって桜が咲く季節になると、いろんな考えが浮かんで来る。
我が家は大騒ぎ
昨日から娘一家が来ている。
4歳の孫娘が大きくなって、元気でエネルギーが有り余って、飛び回っている。
大声で歌も歌っている。
体も重く、まるで石臼のようだ。公園に連れて行って抱き上げたら、腰に来てしまった。
昼は蕎麦屋に行った。
わたしは肉南蛮そばを注文したが、孫娘は天ぷらせいろを注文した。
素晴らしい食欲である。
7ヶ月になんなんとするもう1人の孫娘も、もうすぐハイハイをしそうだ。
膝の上で立ち上がろうとするし、畳の上で背中を反らせて移動することも出来る。なんでも口に入れようとするので、目が離せない。
わたしの顔を見て笑ったけれど、奥さんの顔を見て泣いてしまった。
「こんにゃろう」と奥さんが呟く声が聞こえた。
猫のタオは、なんだかオロオロしてわたしの周りをうろついている。
疲れたので、少し散歩に出かけて来る。
山屋の総会
昨夜は、やっぱり帰宅は1時過ぎになってしまった。
飲み放題で2時間2,480円の安い居酒屋だったが、食い物は貧弱そのもの。安いのだから仕方がない。
トリスのハイボールばかり何杯もお代わりすることになってしまった。
それにしても山屋は呑んべーばかりだ。いや、言い方を少し間違った。以下に修正する。
飲み屋に集った山屋が呑んべーなだけで、飲まない山屋は、総会後、さっさと帰宅してしまったというだけのことだ。
ケンケンガクガク、酔っ払った頭で何を話していたのやら。
夏の集中山行を9月の半ばから下旬にかけてやろうということを話していたのは覚えているが、あれは決定してしまったのだろうか? ここ2年、いつも悪天候に祟られて中止となっていたので、今年は雨天順延ということで計画しようと飲み屋で決めてしまった。
山屋の山行計画のキッカケなんて、こんなもんだ。
総会は国立オリンピック記念青少年センターで、会員の半数ほどが出席して行われた。残りは委任状。
わたしは腰椎骨折の病み上がりの途中の身なのにも関わらず、雪山山行とクライミングについての我が山の会の方針と注意事項を述べた。ジムでボルダリングの練習中に落下して骨折した男が、雪山とクライミングについて云々するのだから面映ゆいこと面映ゆいこと。苦笑いとクスクス笑いが聞こえてくる。
うちの山の会は雪山の条件として、ボッカ訓練に参加することを義務付けている。さらに、12月と4月の雪訓にも参加しなければならない。
それが不満な会員もいるようで、気持ちは分かるのだが、ボッカも雪訓もなくすようなら山の会の意味がなくなってしまう。雪山には、大きなリスクがあるのだ。ハイキングのような感覚で、遭難するようなことになったらどうするのだ。
と、自分では思っているが、今年はボッカにも雪訓にも参加していない。骨折のせいもあるが、体力の低下と雪山への情熱が低下したという原因もある。それに、寒いのはもう嫌なのだ。
雪山の条件については、雪山に行くつもりの仲間と、今後、もう少し詰めていこうということになった。
雪山より、とにかくどこかの低山に登って、体の回復の調子を見なければ始まらないんだよな、わたしの場合は。