「老人ホーム」ビジネス

先日、郵便ポストに、近くの総合病院の隣に建てられた介護付有料老人ホームのパンフレットが投函されていた。

この総合病院は、町田市北部の地域医療を担っている中核病院として名前が知られていて、私も昔は通院していたことがある。パンフレットの航空写真で、すぐにその病院だと分かった。

病院が老人ホームの経営を始めたのかなと思ってパンフレットを読んで見ると、経営はその病院ではなく、全国に名前の知られた警備会社であった。

ただ、この老人ホームは、この病院と提携しているようで、そのことを謳い文句にしていた。

 

パンフレットの中を見て、腰を抜かしてしまった。

なんと入居一時金に5,000万円から7,500万円ほど掛かることが記されていた。さらに、この一時金の他に敷金と毎月の管理費用が掛かると記されていたのだ。

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私は、開いた口が塞がらなくなった。

いったいどのような金持ちの老人が入居するのだろう。

毎月の管理費については、パンフレットのどこにも書いていなかったが、15年以上前、脳溢血で倒れた実家の母親を引き取るに当たって、介護療養型医療施設や介護老人保健施設を探して歩いた時に、毎月、20万円から30万円ほども掛かることを知って、そのあまりの高さに愕然とした覚えがある。そのことを考えれば、おそらくは、その額と同じかそれ以上の金額を払わなければならないのだろう。

 

私も妻も、これからますます老いが進んでいく自分たちのことを考えねばならない。妻曰く、どこの老人ホームに入るのか決めておかなければいけないわね、と。

面倒で、辛くて、悲しい話だ。しかし、子供達に迷惑が掛からないようにするためにも、まだボケが進んでいないうちに、できるだけのことはしておかなければならない。さて、どうしたらいいのだろう。

パンフレットに出ているような介護付老人ホームは、今の私たちにとっては、とても手が届かない。

 

下流老人』という本がある。それを読むと、私などは今のところまあまあ穏やかに暮らしているので幸せなのだろうなと思う。住む家にも食事にも苦労することはない。子供たちも、概ね順調に育ち、みんな独立して家を出て行った。引きこもりやニートになった者はいない。

でも、今後は分からない。いつ何時大病を患って動けなくなるかもしれない。私か妻のどちらかが先立って、後に一人残されることになるかもしれない。可能性の話ではなく、時間が早く訪れるか少しばかり遅くなるかの違いだけで、そんな事態は必ず訪れる。

西部邁が、多摩川自死したのも、分かるような気がする。

 

しかし、この国は、昔から老人にどのような死を迎えさせようとして来たのだろうか。介護保険料だって、少ない年金の中からかなりの額を徴収しているし、その内容も死んだ母親のころよりずっと個人負担が大きくなっているように思える。介護保険導入の最初の目的は、家庭での介護には限界があるから、国や行政がサポートをしようということだったはずなのだ。

それが、いつの間にか、その方向で充実して行くのではなく、家庭や家族ができるだけ面倒を見る方が幸せなのだという方向になって、昔に戻って来ているかのようである。

だから、老老介護で疲れ果て、片方がもう片方を殺してしまったり、二人で亡くなってしまったりする。老人ホームでは、職員が陰湿ないじめをしたり、あげくに殺してしまったりする事件まで起こっている。

保険料は上がっているのに、介護の内容は劣化し、老人ホームの質も格差が広がって、パンフレットのような金持ちだけが入居できる施設とそうではない施設に分けられて行く。

老人が分断されている。

 

すべての老人が安心して老後を過ごし、そして尊厳を持って穏やかな死を迎えることのできる社会であって欲しかった。

ずっと昔から、私の若い時から、そのことを期待して来たのだが、いつになってもそんな社会にはならなかった。

いつまで待たせるのだろう。

この待機は、まだまだ続くのだろうか。

老人ホームが、金持ちだけが対象のビジネスなどであってはならない。金儲けの手段などであってはたまったものではないのだ。