映画館「大坪座」

父親の転勤のせいで、生まれは関西なのだが小学校時代はずっと愛媛県の海に近い小さな町で暮らしていた。

 

町には、映画館が二つあって、古いほうを第一大坪座、新しい方を第二大坪座と呼んでいた。

 

あの頃、小学生は学校が許可しない映画を見てはいけないキマリになっていた。また、一人で映画館に行くことも禁止だった。しかし、わたしは一年生の時から下校途中に映画館に立ち寄っていた。

 

クラスにお母さんが映画館で働いている女の子がいて、その子と帰る時によくタダで映画館に入れてもらっていた。

ある時、「液体人間」という映画(インターネットで調べて見ると「美女と液体人間」〔美女と液体人間 予告編 東宝 HD版 1958.6.24公開 - YouTube〕というのが正式な題名だったらしい)が封切られていて、どうしてそうなったのか覚えてないが、下校時に上級生も混じった三人ほどの生徒で一緒に第二大坪座に入り込んで、その映画を見ていた。

映画がほとんど終わろうとするころに、突然、後ろの席から肩をトントンと叩かれた。振り向くと、そこには担任のゴウダチズコ先生がいて、「〇〇君、ダメだよ。出ましょう」と小声で告げられた。

わたしはかなりしょげ返って、すごすごと先生の後について映画館を出て行った覚えがある。

そんなことがあった後は、その女の子とはあまり一緒に下校することもなくなり、だんだんと疎遠になってしまった。

 

映画館といえば、もう一軒の第一大坪座は、とても古い建物だった。今、思い返してみると、きっと芝居小屋だったのだろう。

二階は桟敷になっていて、両サイドには畳が敷いてあった。また、周囲は暗幕が垂れているのだが、暗幕の向こうは板の雨戸で閉じられていた。屋根は、瓦屋根でてっぺんには火の見櫓がくっ付いていた。

 

その第一大坪座の前では、よくお兄さんが映画の看板を描いていた。あのお兄さんは幾つぐらいの歳だったのだろう。三十代半ばのような記憶なのだが、小学校三年生の記憶なのだからもっとずっと若かったかもしれない。

お兄さんは、映画館の前の地面に描いた看板を寝かせてペンキを乾かしていた。わたしが近づいて眺めていると、踏まないように注意したりするのだけれど、こちらがあまりに感心するものだから、まんざらでもない様子をしていた。

一緒に映画館の看板を見ていたのは、女の子だったような気がするのだが、誰だったのかまったく思い出せない。

 

看板描きのお兄さんは、映写技師も兼ねていて、ある時、映写室の中を見せてくれたことがある。後にも先にも、その時以外に映画館の映写室に入ったことはない。きっとこれからも、そんな機会はないだろうから、人生で一度限りの体験だったということになる。

狭いドアから中に入ると、黒くて大きい映写機が真ん中に据えられていた。部屋の周囲には映画フィルムを収めておく缶が雑然と置いてあった。

お兄さんは、映写機の傍にわたしを招いて、フィルムの装着の仕方を見せてくれた。ひょっとしたらフィルムをスクリーンに映写してくれたのかもしれない。

ただ、どこまで記憶が確かなのか判然としない。おそらく、わたしの願望が混ざり込んでいるのだろう。

 

第一大坪座には、ときどきドサ回りの劇団やストリップの一座もやって来た。

すると、町のあちらこちらにポスターが貼られる。特にストリップの公演のポスターは、小学校低学年の幼心にも、なんとも言えないいやらしさを感じさせたものである。

ポスターに描かれている裸の女性は、いつも金髪の西洋人らしい女性で、艶めかしい姿態で眺める小学生を挑発していた。

ポスターに書かれた謳い文句は、「金髪美女来たる!」というのような内容であった。

クラスにコジマという友だちがいて、第一大坪座に叔父さんに連れられてストリップを観に行った話をしてくれた。話を聞いて妙に興奮したのは、舞台の上で男と女が1分以上キスをしていたということだった。

キスということも、あまりよく分かっていない年齢だった。

今思うと、コジマはわたしを喜ばせるために嘘をついたのだろう。 

 

現在、「大坪座」がどうなっているのか調べてみると、第一、第二の両館とも潰れてしまったようで跡形もないらしい。代わって、シネマサンシャインという大きな映画館がショッピングモールの中に出来ているようだ。

幼いころの懐かしい世界は、すべて思い出の中にだけ存在するようになってしまった。