名護の海

もう20年以上も前のことだ。息子が、薬物中毒になっていたので、その治療のために名護の辺りに住まわせていたことがある。結局、息子は回復などせず、最後は路上で裸になって喚き散らし、病院に収容されてしまった。その後、どうやって東京に連れ戻したのか、すっかり記憶がとんでしまっている。

そのせいで、わたしは何度沖縄を訪れたか分からない。訪れては帰り、訪れては帰り、先の見えない世界に迷い込んだような日々だった。

名護の海は美しかった。市役所の前の幹線道路の向こうに公園があって、そのすぐ向こうに海が広がっている。名護に来るたびに、他にあまり行くところもないので、海を見に出かけたものだ。

わたしは子供時代、瀬戸内の海に面した小さな町に住んでいた。夏になると、学校から帰って来るや、ただいまも言わずに、ランドセルを玄関に放り投げたまま、浜に駆けて行ったものだ。浜には松林があって、その向こうに白い浜辺がどこまでも続いていた。

潮が引き、そして再び満ちて来るころ、夕日が真っ赤に染まりながら、水平線に沈んで行くのを見ていた。

遠い少年時代の思い出。

薬物中毒の息子に煩わされて、疼く心を抱きながら名護の浜辺を歩いていた。暇に任せて、山側のグスクの跡にも訪れてみた。沖縄そばの老舗の「宮里そば」で舌鼓もうった。灼熱の太陽に頭を焼かれながら、名護の町をよろめき歩いた。

その頃だろう、辺野古の話を耳にしたのは。普天間の代替基地として、暫定的に辺野古に基地を作るというようなことだったが、当時は耳を素通りしていた。そんなことよりも、息子の薬物中毒で、思考力がかなり麻痺をしていた。すっかり弱り切っていた。

あれから20年以上が過ぎ去ってしまった。わたしもすっかり歳をとってしまい、息子のことなどどうでもよくなってしまった。

ただ、名護の海のことは気にかかる。辺野古の海のことも気にかかる。

美しい海が、いつまでもつづいて行くことを祈る。