胃カメラと郵便ポスト

もう10年近く前になるが、大学病院の消化器科でピロリ菌を除去する手術をした。その後、年に1回定期的に胃カメラ内視鏡検査をすることになってしまった。

その定期検査のため、今日は10時までに受付に来るように言われていたので、検査30分前の9時半には受付を済ますことができるよう家を出た。

 

昨日から財務省の公文書書換え疑惑で日本も終わりだなと思っていたら、なんと今朝になったら財務省森友学園関係の文書書換えを認めたというではないか。

安倍政権は、戦後政治の総決算などとうそぶいていたが、願ったとおりに総決算してしまったではないか。さらには、太平洋戦争での300万人を超える日本人の犠牲の上に獲得することが出来た戦後民主主義を完全に裏切り、否定することが出来たではないか。ご同慶の至りだ。

 

朝の空気は冷んやりとしていたが、陽光が輝きあふれ、今日は久しぶりにいい天気になる予感がしていた。それなのに、政治のせいで、鬱々として気が晴れない。安倍、お前のせいだぜ、と心の中で呟きながら、駅への道を歩いて行った。

いつもの道ではなく、たまに通る道をたどっていると目の前に懐かしい郵便ポストが飛び込んで来た。おや、まあ、昭和のポストが、こんな所に、まだあるぞ。何度かこの道は通っているのだが、こんなポストに気づいたことはなかった。いつも余裕なく駅に急いでいたようだ。

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こんなポストに出会うと、気持ちがホッコリしてしまう。わだかまり冷え切っていた心が柔らかく融け出して行くような感じだ。少し救われた気持ちになる。

 

大学病院では、検査まで1時間ほど待たされることになってしまった。記憶だと、こんなに待たされたのは初めてのことだったように思う。

待っている最中に紙コップに入った透明な液体を飲む。

今までの長い胃カメラ体験で待合室でソファに座ったまま、この液体を飲んだことはなかった。いつも別室に招き入れられてから、まず、この液体を飲み、続いて喉を麻痺させるための別な液体の薬でうがいをした後、10分ほど経過するのを待って、その後、検査室に行き胃カメラ内視鏡検査を受けるのが常であった。

ところが、今回は最初から違っている。待合室で紙コップの液体を飲んだ後、やっと検査室に呼ばれた。今回は、ここで初めて喉を麻痺させる薬を飲むことになった。口に含んだあと、十まで数えて飲み込むよう言われた。

胃カメラ検査の技術が進歩して、検査前の薬の処方の仕方が以前より簡単になったのだろうか。

直ぐに喉が何となく麻痺して来た。ズボンを緩めてからベッドに横たわった。

しかし、あろうことか、胃カメラ検査は始まらない。医者は目の前で背中をこちらに向けてパソコンの前に座って作業をしている。画面には、おそらくすぐ前に胃カメラ検査を受けた方の胃の映像が写っている。彼は、それを見ながら作業をしているのだ。

検査室で検査を待ってベッドに横たわっている私は、医者の背中を眺め続けているばかり。怒りが込み上げて来て、このまま起きて帰ってしまおうかと思っているときに、やっと医者が振り返り、これから始めますと挨拶をした。

若い医者だ。息子より若いかも知れない。とりあえず、怒りは収まった。

胃カメラ検査が開始する。鼻から息をしてあーッと息を吐いてください。喉の一番苦しいところを通りますから、イーッと言って息をして下さい。ああ、それでいいですよ、とこんな具合で、ともかくも、順調に検査は始まったはずだったのだが。

突然、医者が、おかしいなと言い始めた。

なんだ? なんだ⁈  何がおかしいのだと思っていると、レンズが曇っていて、よく写らないとつぶやき始めたのだ。

一度、胃カメラを引き抜きますので。痛くないですから、と医者。

バカやろう、と心の中で怒鳴りつける私。

すべては、最初からのやり直しということになってしまった。

患者というものは、本当に弱い。何も抗議もできないまま、羊のように従順に従うしかなかった。オーマイゴッド!

検査後、胃の奥が荒れていると言われた。しかし、ガンになる危険性はありませんと付け加えられた。

ともかくも、無事に終了した。いつも思うのだが、やはり胃カメラは苦しい。細い管が喉を通って行く時の苦しみは、以前に較べれば楽になったのだが、それでも辛い。ただ、死の苦しみの擬似体験かなと思うことにして耐えている。

 

家に帰って来て、テレビをつけると、麻生財務大臣が記者会見をして、財務省の公文書書き換えは佐川前財務長官の責任だと、イケシャーシャーと述べていた。俺には責任はないと、いつまでも尊大男まる出しで、朝、赤い昭和のポストでほぐれていた気持ちが、またしても、怒りで溢れてしまった。