週刊新潮の新聞広告

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今日の新聞の朝刊に、週刊新潮2月15日号の新聞広告が載っていた。見出しに「英語より韓国語、中国語教育を!」「子どもに自虐史観を植え付ける『日教組』亡国の教研集会」とあった。
またぞろ、週刊新潮日教組を批判している。裏で糸を引いている輩がいるのだろうが、いつものことなのでウンザリしてくる。
日教組を非難すれば、週刊誌の売り上げが伸びるのかもしれない。
日本の総理大臣も、閣僚席から、議員の質問中にヤジを入れる目的で「日教組日教組」と叫んだこともある。実に日教組は、不埒でどうしようもない存在だというわけである。

さて、韓国語や中国語を学ぶのが、どうして自虐史観を植え付けることになるのか。むしろ、英語を小学校から正規の教科として教えるほうが、問題なのではないか。なぜ、限られた時間の中で、英語を教科として教える必要があるのかまったく理解できない。それこそ亡国の所業だろう。日本は、植民地なのかと思ってしまう。正規の教科としての外国語学習は、中学校からで十分だと思う。
ただでさえ、昔と比べて詰め込みの授業をしていると覚えることが多いのに、この対応は不思議でしょうがない。

自虐史観という言葉が使われだしてから、もう三十年ほど経つだろうか。藤原信勝などが言い始めた覚えがあるが、この言葉は、日中戦争から第二次世界大戦までの間に、大日本帝国が大陸で起こした出来事ー南京大虐殺従軍慰安婦の拉致などーを、なかったことにするために使われだした。だから、日本が戦前大陸で起こした事件を事実として捉え、そこから、戦後を見ていく立場の者は、こんな造語は使わない。相手に対して、このような言葉を使う者は、自ら南京大虐殺従軍慰安婦の拉致はなかったという立場をとるということを表明していることになる。
週刊新潮の思惑がどこにあるのかは分からないが、歴史が証明している南京大虐殺従軍慰安婦の拉致を、この出版社は認めていないことになる。
不思議なのだが、なぜ歴史的事実を認めることが自虐になるのだろう。事実を曲げて、なかったことにしてしまいたいという願望は、どこに根ざしているのだろう。
謝るのは嫌だ。いつも威張っていたいという感情。
ほんとうに情けない気持ちになる。寛容性のかけらもなく、中国や韓国・朝鮮を非難する。
威張り散らしたい人たちには、ご退場願いたいのだが。