小学校四年の女の子の死について

昨日、大阪北部の高槻市を中心とした震度6弱地震が発生した。

この地震のせいで、学校に行く途中の小学校四年の女の子が、校門に到着する寸前に、倒れて来たブロック塀に挟まれて亡くなってしまった。

このブロック塀は、見たところ完全に建築基準法違反である。なぜ、違反して建てられたブロック塀が、小学校という公共の施設で、今に到るまで放置されていたのか理解できない。

行政の怠慢以外の何ものでもない。

 

昨日の朝、この子は普段よりも早く学校に行こうとしていた。

その理由を聞いて、愕然としてしまった。

この子は、他の子供たちが登校する時間に、校門前に立って朝の挨拶をする係りになっていたというのだ。

そのため、地震が起きたちょうど8時ごろに学校に到着しようとしていたらしい。

いつもは、もっと遅い時間、8時30分過ぎに登校していたという。

 

何なのだ?! 学校は何をやっているのだ。

朝の挨拶など、教員でやればいい。いや、校長と教頭(今は、副校長と呼ぶ学校がほとんどだが)でやればいい。その取り巻きでやればいいのだ。

他の教員や、まして、子供たちを巻き込むんじゃない。

 

もう、何十年前になるだろう。町田の忠生中学校で障害を負っていた教員が、生徒に馬鹿にされ身の危険を感じたせいで、持っていた果物ナイフで生徒を刺してしまうという事件があった。

この事件は、障害者への差別という側面ではなく、教員の生徒への暴力と荒れる学校という側面で大々的に報道されることになった。

 

その対策として、朝、教員たちが中学校の正門に立って、登校して来る生徒たちに対して朝の挨拶をし始めたのだ。

そうすれば、生徒たちと心の交流ができるようになり、校内暴力に揺れる学校の再生に繋がるという訳なのだ。

 

当時、私はなんとも言えないような違和感を抱いたことを覚えている。これは、間違っている。これは偽善だから、生徒たちは直ぐに見抜くに決まっている。そして、教員との距離はますます離れて行くに違いないと思ったものだ。

 

その後、朝の挨拶運動は広がり全国津々浦々の学校で行われるようになって行った。

校内暴力は、さて、どうなったのだろう。教員と生徒のコミュニケーションが深まり、生徒たちは落ち着きを取り戻し、学びの学園は再生したのだろうか。

 

校内暴力が吹き荒れていた頃に比べると、最近の学校はずいぶんと静かになったようだ。でも、それは学校が社会に開かれた、子供たちの心の成長を見守る場所になったからではない。

不幸なことに、その後の学校は、小学校も中学校も高校も管理体制が進み、生徒への管理はどんどん厳しいものになっていった。同時に、教員への管理も徹底したものになってしまった。

 

クラス経営が上手くない担任や、授業が成立せず生徒が騒ぎ回っているような教員は、不適格教員として退職に追い込まれてしまう。

新採用の教員も年間10回以上の新採用研修が課せられている。もちろん、研修の報告書も提出しなければならない。

今の教員は、勤務評定があり、自分で成果を報告しなければならない。管理職による授業観察もある。

管理職は、提出された勤務評定を元に、個々の教員と面談をして助言と指導を与えることになっている。そして、評価でランク付けをして、教育委員会に提出するのだ。その結果が、給料に反映する。

 

心にゆとりのない教員が、生徒たちと人間的なコミュニケーションを取ることなど不可能だろう。

 

朝の挨拶運動は、校長にとっても、教職員にとっても、成果として勤務評定に書き込める活動になっている。

でも、生徒たちにとっては、なんの意味もない。

 

こんなことのせいで、命をなくさなければならないなどという馬鹿な話はない。こんな状況を放っておいた、私を含めた大人たちの責任は重大なのだ。

斬鬼