ジャズ喫茶『ビレッジゲート』

新宿に『ビレッジゲート』というジャズ喫茶があった。

大学に入って「自由舞台」という学生劇団に入団したころ、仲間と結構行ったジャズ喫茶だ。

『ビレッジゲート』が目的ではなく、新宿に行ったついでに、ほかに入るところもないので入るということだった。

店内は、壁が真っ黒く塗られていて、ポスターが至る所に貼られていて、入り口近くには大きな伝言板なんかも掛けられていたような記憶がある。トイレも落書きだらけだった。

「自由舞台」のアトリエが、真っ黒に塗られていたので、『ビレッジゲート』の店内に入ると、妙に気持ちが落ち着いた。

今思うと、店内にはタバコの煙がいつも立ち込めていたように思う。そんな中に、大音量でジャズのレコードが流れている。座席には、長髪の若者が深刻な様子で座っていて、本を読んでいたり、何か書き物をしたりしていたものだ。

一見、若い芸術家や詩人たちが集まる場所のような雰囲気だった。

反体制派の巣窟のような場所と言い換えてもいいかもしれない。

それが私には居心地がよかった。

 

大学を出てから30年ほどしたころ、懐かしさから訪ねて行ったのだが、『ビレッジゲート』は跡形もなかった。

後で知ったのだが、新宿連続ピストル射殺事件で日本国中に名前が知れ渡った永山則夫が、この『ビレッジゲート』で一時働いていたということだ。

60年代後半から70年代へかけての、ある時代の特徴を共有していた喫茶店だったような気がする。

あの頃は、私も若くてどこかでデカダンスへの憧れを持っていた。