カジノ法案

この時期に、自民党はまたしてもカジノ法案を提出して、強行採決をしようと目論んでいる。

 

1年以上前に、このカジノ法案が出て来た時も、あまりにも日本という風土に似つかわしくないので、何でこんな法律を提案するのだろうと、怒りが込み上げて来た。

その時に、こんなブログを書いた。

〈カジノ法案:ゆきちゃんの部屋〉

 

その後、状況が変化して、カジノ法案に対する理解や検討が深まったのだろうか。とてもそのようには思えない。

大体が、森友学園問題への対応や北朝鮮の脅威を煽ることや、臨時国会も開かずに、やっと開いたと思ったら総理専権事項をタテに冒頭解散、総選挙。前原誠司の裏切りで民進党が分裂する隙に、選挙に勝ったものの、その後は財務省の公文書改ざんと加計学園問題でてんてこ舞いで、カジノ法案についてまともに検討している暇などなかっただろう。

その上、うまく行ったかどうか分からない、おそらくはトランプペースの日米首脳会談が終わったばかり。

 

日本は、只今現在、国家としてどのような対応が必要か、真剣になって考えなければならない時なのだ。

 

それなのに、またしてもカジノ法案を提出して、何としてでも通そうとする。どこを向いて政治をしているのだ。

 

自民党は、胡散臭い言葉だけれど、「美しい日本」を取り戻すというのが、選挙での歌い文句だったではないか。カジノは「美しい日本」に相応しいものなのか説明してほしい。

 

捕らぬ狸の皮算用で、自民党議員も公明党議員も日本維新の会の議員も、みんな儲けることばかりに狂奔しているようだ。

「特定複合観光施設」を作り上げれば、ラスベガスのようにきらびやかなネオンが光り輝き、カジノでは一晩で何億ものお金が懐に転がり込むに違いない、という幻想。

金と経済の亡者。

 

カジノによって、街や人々の生活や精神が荒廃するという想像はできないのだろうか。

依存症についての対策も、これからの話のようで、ギャンブル依存症は、他の依存症と同様、のめり込むのは瞬く間のことだが、抜け出すのは並大抵のことではない。

今でも、依存症の人は、いっぱいいるのだ。

暴力団やマフィアだって、きっと裏で動いているに違いない。

 

日本には、公営ギャンブルの競馬、競輪、競艇だってあるし、パチンコだってある。宝くじも存在しているのだ。だから、普通の市民にとってのギャンブルへの夢は、じゅうぶんに叶えられている。

大体が、大多数の市民はギャンブルになど行かない。ましてや、カジノなどは堅実な市民生活をしている者にとっては、無縁の存在でしかない。

 

カジノが煌いている、ラスベガスのような街は美しくもなんともないだろうに。