反省ばかり

昨日は、夕方まで何も食べることも出来ずに、布団の中に丸まっていた。

 

一昨日の土曜日は、横浜でシニア運動の総会があり、総会後、軽い懇親会があった。

その場で旧知のKさんと出会ったものだから、意気投合して、どこかでもうちょっと飲んで行こうということになった。そこで、横浜駅西口の路地裏にある飲み屋で、しこたま飲むことになってしまった。

「豚の味珍」という居酒屋で、一階もあるのだがいっぱいだったので、急な階段を上って二階の部屋に入った。入り口そばのカウンターに座ると、目の前に出されたコップに焼酎の液体をヤカンから注いでくれる。

その手つきが慣れたもので、ほんのちょっとだけコップの受け皿にこぼして、なみなみとコップ一の上辺りまで満たしてくれるのだ。

ツマミは皮蛋とあとは何かを頼んだのだが、その時点でコップの焼酎を生で二杯ほど空けていたので、もう記憶が飛び始めていた。

 

Kさんとはどんな話をしたのか、断片しか覚えていない。

年金の額の少ないこととか、若い時に柿生の駅前にあった養老乃瀧で初めてKさんを見た思い出とか、Jアラートのバカバカしさとか、そんなことを話していたような気がする。

1時間か2時間そこにいて、横浜駅で別れた。私は横浜線に乗るために、Kさんは瀬谷に帰るために相鉄線へ。

 

その後は、かなり悲惨であった。

 

どこかの駅の植え込みに倒れ込んでしまい、そこから立ち上がるためにかなりもがいていた記憶がある。

駅に到着した後も、タクシーで帰宅したようなのだが、昨日の朝になって、そのことを初めて知った。かなりの泥酔状態になっていたようである。

 

玄関に倒れ込んで動かないので、奥さんは諦めて放っておくことにした。しばらくして目覚めた私は、浴室に向かう廊下でこらえる間もなく胃の中の内容物を噴水のように吐いてしまった。

大声で奥さんに助けを求めた。寝床から起き出して来た奥さんは、呆れた声を出して吐いた私の吐瀉物を処理せざるを得ないことになってしまった。

 

その後、私は浴室に入ってシャワーを浴びたまま夜中まで中で寝ていたようだ。

風呂場から出た私は、シャツとパンツ一枚で布団に潜り込んでいた。

 

朝を迎えても吐き気は治らない。胃からは白い液体が込み上げて来る。食事はまったく喉を通らない状態が、夕方まで続くことになってしまった。

右腕の肘のあたりにも、左腕にも打撲で変色した箇所と擦り傷があって痛い。

 

夜になって、一日中、所用で外出していた奥さんが帰って来た。

シュンとして改まった様子をして、かしこまっている私を前にして、

「もう、お酒は禁止だからね」

と言い渡した。

そして、付け加えて

「幾つだと思っているの。こんなことをしていると死んでしまうよ」

と断定を下した。

 

ほんとうに情け無いったらありゃしない。今回で、こんなことは何度目になるのだろう。もう、いい加減にしなくては、早々に死んでしまうことになる。

 

酒は止めることに決めた。疲れるだけだし、まったくいいことがない。

きれいな身体と精神で生きよう、っと!