学校帰りの道草 1

小学校からの帰りは、いつも何人かの友だちと寄り道をしながら帰ったものだ。コースはいろいろだったが、映画館「第一大坪座」から築港の橋を渡り、義農公園の脇を通って、小川に沿って帰って行くのが定番だった。

 

映画館前の本屋に立ち寄るのは、いつものことだった。

その日も、悪友のミナトとモモダの3人で本屋の間口で、ヌードのグラビア雑誌を立ち読みしていた。

なんだか和服姿の女性が多くて、前をはだけたり、裾が乱れて横ずわりをしているような写真が多かった。小学校3年か4年の悪ガキ3人が、そんなグラビアを眺めて、大声でギャーギャー喚いているものだから、店のおばさんがハタキをパタパタ振るって、わたしたちを追い出しに来たものだ。

おばさんはとっても迷惑だっただろうと思う。

店に来て静かに立ち読みをしている大人の客たちのそばで、そんなふうに小学生が騒いでいたら、客はうるさくて本を買わずに立ち去ってしまう。

悪ガキ3人は、そんなことを思いやるような知性を持っていない。おかまいなしにいつまでも大声で、オッパイがどうだ、裸だぜ、いやらしいよな、などと興奮して叫んでいるのだ。

おばさんが迷惑がるのも当然だ。

 

あの頃は、立ち読みが当たり前だった。田舎の小さな本屋で、裸電球が低く垂れ下がっていた。

本は店の入り口の広くて平たい棚の上に表紙を表にして並べてあった。その表紙の上に、ホコリが陽光を照り返しながらゆっくりと積もって行く。そのホコリを、割烹着姿のおばさんが、ハタキで舞い上げている。

店の奥まで午後の日差しが橙色に染めていた。

 

築港に架けられた橋は、水門を開閉するためのハンドルが、橋の横に渡された通路の上に5つほど取り付けられていた。

悪ガキたちは、きまって橋からその通路に跳び移って橋を渡った。橋から通路に跳び移るためには、一度、完全に橋から身を乗り出さなければならない。ランドセルを背負った小学生が、跳び移るのは結構危険な行為だった。跳び移るのにしくじったりしたら、そのまま数メートル下の潮水に落ちてしまう。

満ち潮なら衝撃は大したことはないかもしれないが、引き潮の時は大怪我は免れなかっただろう。

 

秋の祭りの時、この橋の上では、毎年、喧嘩神輿が衝突したものだ。本村と新立と呼ばれる各々の地区の大人たちが、褌一枚でそれぞれの地区の神輿を担ぎ、橋の上で担ぎ棒を交差させてぶつかる。神輿の上に乗っかった男が、相手の神輿の鳳凰がくわえた稲穂を奪い取ったら勝ちということだった。

元々が気の荒い町だったので、この喧嘩神輿はかなり激しいものであった。

担ぎ手の男たちは、みんな酒を飲んで気勢を上げている。中には神輿こぶが肩に出来ていた者もいたし、背中から両腕にかけて刺青に覆われている男もいた。

そんな男たちが、激しくぶつかり合うのだ。当然、神輿の上に乗って立ち上がっていた男が、橋の下に落ちてしまうこともあった。

怪我も多かったことだろう。でも、これが町の祭りのクライマックスだった。

今でも、この喧嘩神輿はやっているのだろうか。

 

橋のたもとにランドセルを置き小学生3人が立ったまま、若い女の人が通ると、大きな声で3点とか1点とか5点とか叫ぶのだ。

橋の上を通って行く女性の容貌を5段階で評価していたのだ。

通行人の中の1人の女の人が、かなり険しい表情をして私たちを睨みつけながら通り過ぎて行った。

その表情に恐れをなして、5段階で女性を評価する遊びはやめてしまった。

 

夕方の汐風が橋の上を吹き渡って行く。潮の匂いに包まれて、悪ガキたちは、ランドセルを再び背負い直して、大声を上げながら帰り道をたどって行く。ぶらぶらと後ろ髪を引かれるようにして、歩いて行くのだ。なかなか家には帰り着けない。