死について
一昨日の夜は、12時近くになって寝床に入った。寝つきが悪くて、いろいろな思いが頭の中に浮かんで来てしまった。
私の歳と身体の状態、そして親父や祖父の死んだ年齢を考えてみると、この10年以内のうちに確実に死んでいくことになる。にも関わらず、普段の私は、いろいろなことにうつつを抜かして死ぬことなど忘れてしまっている。
いつも死のことを考えてクヨクヨしていたら、人生を楽しく生きることなど出来はしない。忘れているのが、当たり前で普通のことだ。だから、世に言う終活なんて、なかなかする気が起こらない。
ただ、死ぬのは怖い。こんな眠れない夜は、そんな感情が嵩じてしまう。
若い時も死を考えて、いつか必ず死を迎えなければならないことに怯えたものだ。だが、まだ先のことだった。死へのモラトリアム状態とでも呼べばいいのだろうか。
今は、違う。かなりの確率で、すぐにでもやって来る死が現実のものになっている。若い時のように先延ばしにはできない。
死というのは、私にとっては無である。存在が無になるということだ。それで終わりで何ということもないはずなのだが、現実の私は、その後に続く永劫の時と広がりを想像して身体も精神も凍りついてしまう。
特に一昨日の夜のような状態の時は、そんな想念が湧いて来て、悲しくて仕方がなくなってしまう。
老いて、私はますます自己愛が増大しているようだ。煩悩を抜け出すことなど夢のまた夢になってしまっている。