コロのこと

コロというのは、昔、飼っていた柴犬のことだ。血統書付きの犬で、そこに書かれていた名前は五郎丸という大層な名前であった。

犬を買ってくれと親にねだって、京都の大丸のペットコーナーに見に行き、気に入ってその日のうちに買って帰って来たように覚えている。ただし、正確な記憶かどうかは分からない。中学2年の時のことだった。

私は、ずっと自分では、自分が頼んだから親が買ってくれたと思っていたが、よく考えてみると、妹が欲しがったから親はすぐさま買うことを承諾したのだろうと思う。妹は、三つ年下だから小学校5年生だった。中学2年の息子の頼みよりも、小学校5年の妹の頼みのほうを、父親は聞いたのに違いない。

買って来た子犬を、妹がとてもよく可愛がっていたのを覚えている。私はといえば、気分屋なものだから、猫可愛がりするときもあれば、自分のことにばかりかまけていて、犬のことなど全く構わないこともあった。

8歳年下の弟は、コロが登場したのは、おそらく災難だっただろう。コロのほうも自分より下だと思って、まったく弟の言うことを聞かなかったものだ。散歩に行って、手綱を持つとそのままコロに引きづられてしまうし、下手をすると後ろからのしかかられて、あげく組み伏せられ、泣く羽目に陥ることも度々であったのだから。

その弟が、一番コロを飼ったことの影響を受けていて、大人になって一家を構えてから、当たり前のように犬を飼ったのである。それも柴犬だった。妹も結婚後、犬を飼っていた。

私だけが、犬は飼わなかった。というより、ずっとペットは飼わないようにしていた。

それは、コロの死があまりに悲しかったからだ。コロは、フェラリアで死んだ。4年か5年の短い命だった。

大学に合格した後、コロが死んでしまったことを知った。母親が、私の受験に影響を与えるといけないというので、死んだことをすぐには伝えなかったのだ。とてつもなく悲しくて、私は声に出して泣いた。

生き物を飼うというのは、そういうことなのだ。いつかその死と向かい合わなければならないことになってしまう。そんなことは、もうごめんだと思い続けていた。

一度、スナネズミを飼ったことがあったが、あまり可愛いとも思わなかった。なぜ飼うことになったのかも覚えていない。車で実家に帰省したら、旅の途中で死んで硬直してしまっていた。スナネズミが死んだことには、なんの悲しみも感じなかった。

小学生だった娘が、捨てられていた子猫を家に連れて来るまで、ほんとうに可愛いと感じたペットを飼うことはなかった。この子猫には、マオという名前をつけた。大きな猫で、体重が10キロを超えたこともあった。14歳と数ヶ月生きて亡くなった。学生だった娘は、マオが死んだことを知らせると、学業を休んでわざわざ遠方から帰省して来た。

マオの話は、またいつか書こうと思う。