沖縄_名護
4月25日は名護のホテルで目が覚めた。
以前も使ったことのあるホテルで懐かしくて利用したのだが、もう使わない。朝食も貧弱だった。
ゆっくりと支度をして9時過ぎにホテルをチェックアウト。
昨日、観光協会の小太りのお姉さんに貰っておいた観光マップで行き先を探す。
フォトスポットとして5箇所ほどが載っていたので、そこを目指して行動を開始した。
まず、「名護のひんぷんガジュマル」。
歩いていくと大きなガジュマルの木が道の真ん中に聳え立っていた。
国指定天然記念物、名護市のシンボルとある。「ひんぷん」って何だろう?
そのまま歩いていくと、名護博物館に到着した。
博物館の入口の前に大きな銅像が建っていた。孔子か老子を思わせるような坐像である。
近づいてみると「名護親方 程順則聖人像」と書いてある。
看板の説明によると概略以下の通り。
1663年〜1734年。那覇久米村に生まれた。沖縄の名前では「寵文(ちょうぶん)」という。近世の沖縄を代表する政治家で、その人格と素養により「名護聖人」と称され尊敬された。琉球初めての学校「明倫堂」を設立。中国に渡ること5回、中国より「六諭衍義」を持ち帰った、とのこと。
六諭とは、次の六つの教えである。
父母に孝行しなさい、目上の人を尊敬しなさい、郷里にうちとけなさい、子孫を教え導きなさい、おのおの生業を安んじなさい、悪いことをしてはならない
ともかく、名護の人たちにはとても親しまれている人物なのだろう。
博物館の受付で入館料を払おうとしたら、受付のお姉さんから、まだ開館の準備中なのだと言われた。開館は10時なのだと言う。ただいま9時40分。
仕方ないので近くを散歩してくると答えると、大丈夫だからちょっと待って下さいとの返事。エエッ?って思ってると、準備ができたから入ってもいいということになった。
こんなところは、南国風なのかなと優しい気持ちにさせられてしまう。
博物館の展示会場を1階から2階へとゆっくりと時間をかけて巡った。時間はいくらでもあるのだ。
1階の展示場は、名護の昔の暮らしに関するものが展示されていた。
入ってすぐの大きな黒豚にびっくり感心、じっくりと眺め入ってしまった。
沖縄の料理の蝋細工がガラスケースに展示されてある。なかなか為になる。
仏壇と供物も展示してあった。
豚小屋と一緒になった、昔のトイレの展示もあった。初めてお目にかかる。用を足した大きなものがそのまま豚の餌となるように考えられている。中国の農村でも、人間の糞便がそのまま豚の餌になるような方式のトイレがあったと思う。影響を受けているのだろう。
2階の展示場には、大きなマッコウクジラの骨が天井から吊り下げられていた。
1階に戻り鶏と亀を見てから博物館を後にした。
次は「恋ざくら」なるものを目指して名護城公園南口に赴く。
途中、「めおとデイゴ」なる二本の大きなデイゴの樹に出くわした。二本並んで斜めに立っているので不思議な感じがするが、小さな赤い花を付けていた。ほんとうに夫婦なのかな。
交差点で右にオリオンビールの工場が目に入った。東京でも、時々お世話になるビールだ。
名護城公園南口までは多少歩いた。
ここからは上にある神社に登る階段が続いている。「恋ざくら」はその神社にあるようなので、とりあえず登って行った。
結構な段数だ。なまった体にはずいぶんと応える。
途中で運動靴のおじさんが、私を追い越して行った。仕方がない、追い越させてやるか。
こんな調子で登って行ったものだから、「恋ざくら」のことをすっかり忘れてしまった。
これから後は、止せばいいのに、名護城と展望台を目指して登り続ける羽目に陥ってしまった。私の悪い癖だ。後の見境がない。
名護城址に登って行く途中で、中国から観光に来た家族に道を聞かれた。お母さんらしき人が英語で、スマートフォンに表示された地図を指して、ここに行きたいのだけれど、どう行けばいいのかと聞いてくるのだ。
説明してやりたいのだが、地図を見ても、位置関係も何も分かりはしない。どうしようと考えていると、旦那さんが キャン・ユー・スピーク・イングリッシュ? と聞いてきた。なんだか分からないけれど、余計嫌になってしまい、うーん、うーんと悩んでいると、もう結構です、分かりました、道なりに行けばいいんですね、というふうに言って、離れて行ってしまった。
小さな男の子に、別れ際に「バイバイ」というと、笑顔で「バイバイ」と答えてくれた。
どうも後味が良くないのは、私も旅行者だということを伝えなかったこと。この公園の地理が分かっていないのは同じなのだ。にも関わらず、なんとか役に立ってあげようとしたのに、見せられたスマホの地図があまりに分かりにくくて、どうにもしようがなかったこと。
ほとんど中国語が出なかったこと。英語が話せますかと聞かれたこと。
名護城の趾に到着して、以前、来たことがあるのに気がついた。昔、沖縄にいた長男が案内をしてくれたのはここだったではないか。すっかり忘れていた。
いろんなことを、どんどん忘れて行く。記憶が消え去り、あとに空白だけが残って行く。
城跡をあとにして、ヤケクソになって展望台を目指した。工事中の道も無視してひたすら登り続ける。どのくらい経っただろう。ビジターセンター「Subaco」を通り越してさらに50メートルほど行くと広い駐車場に出ることができた。その先に展望台が建っていた。
展望台に登る。名護市が360度目の前に広がって見えた。
急いで、下山して昼ごはんを食べなければ。今日の昼ごはんは「宮里そば」と決めていたではないか。名護市に寄った主目的も「宮里そば」だったのだから。
登った道を引き返すのはつまらないので、公園の北口に降りることにした。
ただひたすら北口を目指して降りる。
下についてからは、街の中心部を越えて宮里にある「宮里そば」をひたすら目指して歩いて行った。バスなど来やしない。
北部病院をこえる。名護十字路をこえる。名護市役所に近づきつつあるころ、ホッと一息ついて「宮里そば」の位置をインターネットで確認するために調べた。すると、「宮里そば」がヒットしたのだが、今日水曜日は定休日と書いてある。愕然とする。前回名護に来たときも似たような状況だった気がする。
どうしても「宮里そば」でソーキそばを食べることができない!
市役所を訪ねて食堂を探す。入り口で館内図を見ていると、職員の一人に声をかけられた。不審人物と思われたのだろう。親切心から声をかけられたとは思えないが、名護市役所には食堂がないからと近くのレストランやラーメン屋を教えてくれた。
沖縄に来て、沖縄なのにラーメンを食べている切なさよ。でも、ちょっと不思議なラーメンだったので良しとするか。
そのまま、バスターミナルまで歩いて行き、空港行きの高速バスに乗った。
帰りは17時ちょっと過ぎのスカイマークで、羽田には19時40分ごろに到着した。
今回の辺野古への連帯行動の旅も、これで終わり。明日からも、がんばって生きて行こうと思う。