朝日新聞デジタルの記事から

朝日新聞デジタルの今日の記事が気に入ったので、備忘録として以下にそのまま記録しておく。

題と筆者は次の通り。

 

『(政治断簡)畑作は土から、寝言は寝てから』 編集委員高橋純


 「国会で議論すべきことは他にもたくさんある。○○問題一色になるのは残念だ。私は必ずしも安倍政権支持ではないが、野党は対案を出さずに批判ばかり。もっと政策を議論すべきだ」

 以上、男もすなる「憂国しぐさ」といふものを、女もしてみむとてするなり。

 (1)議論すべきことは他にもあるという〈嘆息〉(2)私は「中立」だという〈弁解〉(3)野党は対案を出せ、政策論議をせよという〈すり替え〉――が基本セット。なにげに手軽に高みから知ったげに何か言ったげになれるがゆえに流行中だが、権力擁護以外の効能があるはずもなく、ならば堂々と日の丸の小旗でも振ったらいいのに。安倍首相ガンバレ安倍首相ガンバレ……園児にそう言わせていた籠池泰典・諄子夫妻が逮捕・勾留されてもう8カ月が過ぎた。

     *

 それにしても、である。政治という営みはいつから、政策論議に矮小(わいしょう)化されるようになったのだろう?

 畑の土が汚染されていることがわかった。もうこの畑で作物をつくるのは無理ではないかという議論をしている時に、いつまで土の話をしているのか、ニンジンをうえるかジャガイモをうえるか議論すべきだ、冷夏への備えも必要なのに、対案を出さず批判ばかりして……などと言い出す者は正気を疑われる。

 政治だって同じだ。主権者はいわば畑のオーナーである。選挙で多数をとった政権に管理を任せていたら、あったものがなかったことにされたり、ないと言っていたものが出てきたり、トラック何千台でも運び出せないほどのゴミが畑に埋まっていた。

 さあ、どうする?

 責任を問う。信頼できないなら辞めさせる。主権者の当然の務めだ。もちろん、信頼などどうでもいい、成果さえ上がればいいという立場もあり得るだろうが、それはもう政治ではなくビジネス、それもかなりブラックなビジネスの感性と言わざるを得ない。

 政治がリーダーシップを発揮して官僚組織のうみを出し切るなどという言も聞こえてくる。寝言はせめて寝てからにして頂きたい。リーダーシップとは責任を取ることと表裏一体のはず。官僚にのみ責任を押し付けた上で発揮される政治のリーダーシップなどあり得るのか。

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 みんな必死に船にしがみついていて、はた目にはその船を信奉しているように見えるが、他に良い船がないため、沈むのがわかっていてもしがみつくしかない――社会学者の大澤真幸さんに以前インタビューした際、資本主義を船に例えてそんな趣旨の話をされた。「現実主義だリアリズムだと言って、可能なことだけを追求するというのは単に、船が沈むのを座して待つということにしかなりません」

 現下の政治を取り巻く状況にも符合する。先の展望がないからしがみつく。いろんな意味でこの国は老いているとしみじみ思う。どうすれば若返れるか……あっ。「やらされモードではなく、死ぬほど実現したいという意識を持つことが最低条件」かもしれない。自分の記憶の限りでは。

 

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畑の喩えに感心したので転載した。

また、最後の意見も同意するところ。少しでも理想を求めるところに人生の意味がある。