標語についての疑問
ずっと気になっている標語がある。
それは「いかのおすし」と「ホウレンソウ」という標語である。
「いかのおすし」は、この句のそれぞれの文字を先頭にするフレーズを、小学生に思い出させるための防犯標語として考え出されたらしい。
いかない
のらない
おおきなこえをだす
すぐにげる
しらせる
この五つがそのフレーズである。
しかし、私には、「いかのおすし」からは、何度覚えても、なかなかそれらのフレーズは思い浮かんでは来ないのだ。
すぐに浮かぶのはネタがイカの寿司である。その次の感想は、美味そう、なのだ。
とてもこの防犯標語が企図しているフレーズは現れてはくれない。
不審者に出くわした小学生が、「イカのおすし」「イカのおすし」と繰り返し、いったい何だったのかなと思い悩まざるを得ないことを危惧する。
ついでに苦言を呈すると、イカのお寿司という言い方は、なんとも座りが悪い。寿司屋に行って、こんな言い方はしない。
「ホウレンソウ」という標語も同じだ。
ほうこく(報告)
れんらく(連絡)
そうだん(相談)
ということらしいが、「ホウレンソウ」からは、こんな連想は湧いてこない。青い野菜。ポパイ。ほうれん草のおひたし。鉄分豊富etcであって、決して、報告、連絡、相談などではないのだ。
これもついでに言っておくが、「報告」と「連絡」の違いってなんなのだろう? よく分からないことを、標語にしてはダメだろうと思う。
ある時から、こんな標語を言い出した管理職がいたが、要は一人で悩まず(自分で判断せず)に、上司にちゃんと連絡をして指示を仰がなければならないという意味で使われていたように思う。
何か事件が明るみに出て、その時に連絡や相談を受けておらず、上司が知らないということになれば、上司の責任問題となるかもしれない。そのような羽目になったら大変だと言うので、考案された標語としか思えない。
自分に責任が降りかかる前に、事件を起こした当の本人に責任を取ってもらおうというわけだ。部下の不始末を、何も言わずに自分が引き受けて収めようという覚悟がどこにもない標語である。部下を守ろうという意思が何処にも見られないと言うしかない。
両方の標語に共通するのは、連想ということを全く考えずに作られているということで、はっきり言ってしまえば、役には立たないし、気持ちが悪いものになっている。
こんな標語を使ってイメージを混乱させるよりも、内容をそのままはっきりと覚えた方が、どれほどスッキリして簡単なことか知れたものではない。
ぜひこんな標語は廃止にして欲しい。
標語であっても、いろは歌を七文字ずつ区切って、それぞれの最後の平がなを繋げると現れる「とがなくてしす(咎無くて死す)」のような、また、伊勢物語の東下りの段にある和歌「からころも 着(き)つつ慣れにし 妻(つま)しあれば はるばる来つる 旅(たび)をしぞ思ふ」の各句の先頭をつないで、「かきつばた」という言葉を折り込んで遊ぶというような知的な楽しみが必要なのだ。
街中で突然現れた「怪しいおじさん」を表す表現は、そのようなおじさんを連想させなければ定着しない。
例えば、次のようなイメージの繋がりとなる。
あぶないぞ
やさしい声で
しつこくて
いろ目を使う
お金持ち
じぶん勝手な
サングラス
とてもつまらないフレーズになってしまったが、一応、「怪しいおじさん」の連想とつながっているだろうと思う。もちろん、防犯標語にはならない。