おらあ猫だ

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日向ですっかりいい気持ちで寝ているタオ

今週のお題「ねこ」

我が家の猫は、名前をタオという。中国語でいたずらっ子という意味だ。

先代の猫も中国語の名前だった。マオと言った。なんのことはない、猫という意味だ。

タオは、マオが14歳でこの世を去った後、4年近くなってから「たんぽぽの里」という保護猫シェルターから貰い受けて来た。

マオが亡くなって、もう二度と猫は飼わないでいようと心に決めていたのだけれど、ペットロスが嵩じてしまい、矢も盾もたまらず「たんぽぽの里」を訪問したという次第だった。それが今から3年近く前のことになる。

シェルターの20匹ほどの猫たちの中で、どういうわけか、タオだけがわたしのもとにやって来て、膝の上に甘えるように乗っかったのだ。そのせいで、わたしの心が動いてしまい、どんな猫がいるのか見るだけと思って訪問したはずなのに、引き取って飼うことに決めてしまった。

タオは、福島第1原発の事故で避難地域に指定された双葉町の国道で保護された猫である。2012年4月2日のことだという。だから、2011年3月11日の原発事故の後、保護されるまでの1年あまり双葉町周辺をさまよっていたことになる。福島の寒い冬を乗り越えなければならなかっただろうし、その間、どんなふうに生きていたのだろうと思うと、胸が苦しくなってしまう。

その後、「たんぽぽの里」に引き取られ、しばらくして新しい飼い主が見つかったのだが、わたしが「たんぽぽの里」を訪問する一月ほど前に、シェルターのドアの前にダンボール箱に入れられたまま捨てられていたのだそうた。捨てた飼い主のことは、考えるのも嫌だ。

福島で震災前にタオを飼っていた元の飼い主のことは分からない。ただ、タオがブラッシングが大好きだし、歯も嫌がらず磨かせてくれるし、やたらと人懐っこいところを見ると、とても可愛がられて育ったんだろうなと思う。その方が、東日本大地震と引き続いて起こった原発事故で、どのようになったのか想像すると辛くなってしまう。

タオの年齢は、だから、分からない。引き取った時、「たんぽぽの里」では最初8才ぐらいかなと言われた。その後では5才ぐらいとも言われたので、やはりよく分からない。5才なら震災の時1才だったということになるし、8才なら4才だったということになる。

ウチに来た当座は、耳アカが詰まっていて、口の中も相当臭かった。動物病院に連れて行き、耳アカの掃除と歯石の除去手術もしてもらった。

ウイルス性の目の病気にもなった。片側の肛門腺が炎症を起こすので、その手術もした。

その後は、病気はあまりしなくなった。ただ、引き取るとき、シェルターの方から、原発事故の保護猫だから、将来どんなことになるかもしれないけれども承知しておいてくださいと念を押された。

もうすぐ3月11日がやって来る。東日本大震災から7年になる。

タオも8才なのか11才なのか、どちらにしろ中高年の猫になって、すっかり我が家の一員になってしまった。

緊張感ゼロ。ダラーっと日なたに寝転んで、突っついても起きない。

お腹が空くと、ニャーニャーと鳴いて餌を要求する。カリカリ餌より缶詰の方が好き。たまに缶詰をやると、わたしが手に持っているだけで、飛び上がって喜びを表す。単純きわまりない。

わたしの食事中は、そばに来て舌なめずりをしたりする。とても品の良い猫には思えない。タオが人間なら自分を「わたし」とはとても言いそうにない。きっと「おらあ」とか「おいら」に違いない。

今、横で寝そべっているタオを見ると、えらかったなあという思いがこみ上げて来る。

ともに白髪の生えるまで、長生きしような。