旧優生保護法をめぐって

f:id:maturinoato:20180221143449j:plain

東京新聞 2018年2月20日夕刊

昨日の東京新聞の夕刊社会面に、旧優生保護法のもと北海道で11歳の女児までも不妊手術を施されていたことが報じられていた。11歳の女児は二人いて、「てんかん」が手術の理由とされたと記事には書いてある。

優生保護法の残酷さが、よく分かるというものだ。

若いころ、優生保護法は母体を守るもの、産みたくない権利を女性に保障する法律というように、自分に都合よく解釈していた。この法律が持っていた、主な目的を知らないまま長い人生を過ごしてきたのは、自分の怠慢であり罪だと思う。

優生保護法の目的には、母体の保護ということもあるのだが、その前に優生上の見地から不良な子孫の出生を防止するということがあるのだ。優生上の見地というのは、優生学に基づいてということである。

優生学というと、すぐにナチスドイツのT4という作戦を思い浮かべる。人間に優劣をつけ、精神薄弱者、てんかん患者等を生きるに値しない人間として、ガス室に送り安楽死させたのである。それは、後にジプシーやユダヤ人を劣等人種として撲滅の対象にし、強制収容所ガス室に送り込むことへと繋がって行った。

優生保護法は、戦後すぐできた法律であるにも関わらず、濃厚に優生学の影響を受けて成立したものだ。遺伝学上、劣っている人間は、生きてる必要はないという思想が、なぜ戦後の日本でこうも簡単に受け入れられてしまったのだろうか。もちろん、ナチスのようにほんとうに殺してしまうのではないが、強制的な不妊手術や断種は子供を産める可能性を奪い取るという点で殺人に等しい行為に違いない。

優生保護法を見ていると、おぞましい名前が三つ出てくる。「都道府県優生保護審査会」、「公衆衛生審議会」、「優生保護相談所」。これらは、みんな優生手術の決定に関わった機関である。

1948年(昭和23年)に施行された優生保護法は1996年(平成8年)に母体保護法というう名称に改められ、同時に、中心に置かれていた優生学的思想に関係する条項も削除された。それは、ついこの間のこと、ほんの20年余りまえのことなのだ。

さらに、現在の母体保護法という法律は、優生保護法から単にそれらの条項を削除しただけの代物で、優生保護法に変わる新たな法律ができたというわけではないのだ。

例えば、産みたくない権利を女性に保障する法律などにはとてもなってはいない。

おそらく、女性自身が妊娠を望まなくて人工妊娠中絶を希望する場合、旧優生保護法と同じように「妊娠の継続又は分娩が身体的又は経済的理由により母体の健康を著しく害するおそれのあるもの」という部分が援用されているのだろう。

「母体の健康を著しく害するおそれの」ない女性は、今でも罪悪感から逃れることはできないのだ。 

【参考】

ネットを調べていたら「SOSHIREN 女のからだから」というサイトがありました。いろいろと情報が載っています。