70年安保闘争デモ

1970年の6月23日、日米安保条約の自動延長に反対するデモがあった。

無知なわたしは、先輩になかば強制的に誘われて明治公園に出かけて行った。全共闘のデモである。ヘルメットは、先輩が貸してくれた。

そのデモに参加する前にも、下宿の別な先輩に誘われて民青のデモにも参加しているから、節操はまったくない。

明治公園に向かう山手線の中には、デモに結集しようとするさまざまな集団が乗っていた。異彩を放っていたのは、赤ヘル軍団で手に手に、棒か槍のようなものを持って乗り込んで来た。MLとヘルメットには書かれていた。

明治公園に着いて、先輩の後について集合場所に向かっていると、右のほうの空に石が飛び交っている。対立する党派が内ゲバをしているのだ。

安保条約は、もう、自動延長することが決まってしまった後で、このデモは負けと決まった後の自慰行為のようなものだった。マイクで、敗北したと泣き叫んでいるアジテーターがいた。

デモは、明治公園から日比谷公園に向かうコースだった。隊列を組んで、女性を中に入れて、両サイドから規制してくる機動隊のジュラルミンの盾から守るようにして進んで行く。

途中で靴ひもがほどけて来たので、隊列を離れ歩道で結び直し、急いで列に戻ると側の男から怒られた。列から離れるな。私服にそのまましょっ引かれてしまうぞ。情けないことに、そんなことも知らなかった。

どこら辺りだったか忘れたが、催涙ガスが立ち籠めて、やたらと目にしみる場所に差し掛かった。催涙ガスは目だけでなく、顔の皮膚にまで突き刺すように染み込んでくる。デモで顔を隠しているのは、顔を特定されないようにという理由だけではないのだ。催涙ガスの痛みから身を守るためでもあることを初めて知った。

一台の赤いスポーツカータイプの車が、デモ隊の通過を無視して道路に入り込んでしまい、デモ隊の一部に取り囲まれバンパーを殴られたりボディーを蹴られたりして、慌てて逃げて行った。スポーツカーの運転手は災難だったが、赤いスポーツカーの高級車だったのが、デモ隊の余計な怒りを買ってしまったのだろうと思われる。

銀座四丁目あたりに差し掛かったとき、機動隊と対峙する状態になった。装甲車の上にいる機動隊の指揮官が、何かをがなりたてていた。デモ隊の諸君、ジグザグデモは禁止されています。ただちにやめなさい、というようなことを言っていたのだと思うが、よく覚えていない。

その前から、デモ隊はジグザグデモを繰り返していた。

そのとき突然、前方で騒ぎが起こった。右翼か暴力団と思しき集団が、デモ隊の先頭に襲いかかったのだ。その騒ぎを受けて、機動隊が直ちに規制に入った。暴力行為はやめなさいと、装甲車の上のスピーカーから声がする。気づいたときには、デモ隊の先頭の前三列までが、丸ごと機動隊に逮捕されていなくなっていた。目の前に機動隊員が現れ、横にいた女学生を引きずり出そうとする。わたしは彼女と腕を組み、どうにか守ろうとしたが、もみくちゃになりながら機動隊に押されて列から弾き飛ばされてしまった。その後、すぐに機動隊は後方に下がり、デモ隊は態勢を立て直すことができた。

その後も、機動隊の規制を受けながら、デモ隊は悄然として日比谷公園に到着した。

日比谷公園では、流れ解散だった。わたしはヘルメットを脇の下に隠して、先輩と一緒に有楽町の方へ逃げるようにして歩いて行った。駅近くのラーメン屋でラーメンを食べたのを覚えている。

その後、どうやって下宿に帰ったのか記憶にない。その先輩のこともすっかり忘れてしまった。